1日にして消えた村オラドゥール・シュル・グラヌ ORADOUR SUR GLANE
アテンドの仕事をしていた時に、お客様から「オラドゥール・シュル・グラヌへ行ってみたいのですが、アテンドは可能でしょうか」とお問い合わせがあった事がありました。 オラドゥール・シュル・グラヌ? はて、この村か町はいったい南仏なのかパリ近郊なのか? 全く当てのない私はすぐにインターネットで探しました。 結局マルセイユからはかなり遠い場所だと分かり、アテンドは実現できなかったのですが。 調べているうちに、私もいつか行ってみたい場所となりました。 この村は、私がよく行っていたようなフランスで最も美しい村でもなく、田舎のかわいい村でもなく、悲しい歴史のあるところだという事が分かりました。 第二次世界大戦の1944年6月14日にリムーザン地方の小さな村は、ドイツ軍により村ごと焼かれ、村民はほぼ全員197人もの人が殺害されたという村だったのです。(詳しくは他の方のブログやWikiなどを検索で確認してみてください。実際に訪れた方の写真を拝見するとかなりの迫力です。) この「誰もいなくなった村」はドゴール将軍の命令でそのままの形で残され、再建はされず今でも廃墟と化しています。 村中が博物館のよう。 Wikiより そして、今日は69年ぶりに初めてフランスの大統領とドイツの大統領が慰霊に訪れた記念すべき日となりました。 今までオラドゥール・シュル・グラヌと聞くたびに、気にしながら耳を傾けてはいましたが、今日は初めてこんなに村の背景や村の人々(現在はこの廃墟から離れた場所に村人の住む村があるらしいです)、そして貴重な生存者の方たちもテレビで拝見する事ができました。 生存者の方のお一人は家族と共に教会に送り込まれ、閉じ込められ、焼かれる直前に脱出したのだそうです。よく逃げられたなとも思うし、一緒にいただろうお母さんや兄弟を置いていったのは大変悲しい事だっただろうと思います。 そして良くぞ生き残ってくれた。 もう一方は現在94歳、やはりご家族の方をなくしておられました。 そして今回ドイツの大統領がオラドゥールの村まで来た事に対し、「Bravo, Merci et Enfin」とインタビューに言葉も短かに答えていました。 ブラボー良くやった、ありがとう、そしてやっと・・・。 「やっと」の言葉が重く響きました。 69年にして初めてのドイツ大統領の訪問。 しかもドイツ事情を良く知らない私は、なぜアン...