聖母マリアが現れたルルドの泉へ
夏の思い出3です。
ルルドもいつか行ってみたいと思っていたところ。
マクロビの研修がピレネー地方で近かったので、せっかくなので行く事に。
ルルドに着いてワクワクしながら大聖堂へと向かいます。
と、その前にルルドの泉のお話で欠かせない人物、ベルナデット(ベルナデッタ)の父方の家がありました。
周りは高い建物になっているのに、この家だけ挟まれるように残されてなんだか苦しそう。
こちらがベルナデットの生まれた家。
1858年2月11日、ベルナデットが14歳のとき洞窟方面へ薪を拾いに行きましたとさ。
そのときベルナデットが洞窟の中に現れたマリア様を見てしまいます。
マリア様はベルナデットに水を飲んで顔を洗いなさいと言います。
ベルナデットは近くに水が無かったので、近くの川へ行こうとします。
そうすると、マリア様が洞窟の下の方へ行きなさい、と指差した場所から水が湧き出たという始まりです。
始めは濁っていた水もだんだん清水となり飲めるようになったとさ。
その後、マリア様が自分の存在を皆に知らせ、この泉が奇跡の力があるのだと知らせなさいと命じたそうです。
そしてこの地に礼拝堂を建てるよう神父さんに伝えなさいと・・・。
大変なお役目です。
そして、この泉の水を飲んで病気が治った人がでて来ました。
各地の司教もこの地を訪れるようになり、崇められる地となります。
1864年聖母マリア像が洞窟の中に建てられます。
その後、奇跡が信じられ1876年、聖母マリアに冠がかぶせられます。
聖母マリアの代弁者となったベルナデットはその後、ブルゴーニュでシスターとして献身的に人々に尽くします。
しかし残念な事に35歳という若さで亡くなります。
ブルゴーニュの修道会の上司から嫌われていたのだそうです。
1933年ローマ法王によりベルナデットは聖人(聖女)となりました。
聖人として認められるかどうかの調査をするために掘り起こされたベルナデットの死体は、腐敗せず生前のままの姿だったそうです。(怖っ)
ベルナデットの話がながくなりましたが、ルルドのノートルダム大聖堂の写真も見てください。
手前にはたくさんの十字架が展示してありました。
世界中から巡礼しに来た信者の人達の物のようです。
聖堂左横のきれいなモザイク
大聖堂内。
豪華できれいな作りの聖堂です。
上から見た川。
ベルナデットはここに水を飲みに行こうとしたのでしょう。
教会の方には、いくつものきれいなステンドグラスがあり、そのひとつひとつがマリア様出現のお話を表しています。
初めてマリア様がルルドの洞窟でベルナデットの前に現れ、ベルナデットに十字の切り方を教える場面です。
これは、病気だった人がルルドの水を飲んで治癒したというお話の場面。
壁には御心。
ハートを模ったオーナメントがたくさんありました。
大聖堂の右脇にルルドの泉があります。
そんなに人は多くないのですが、車椅子の方優先なので、結構待ちました。
だって車椅子で来ている方の数が半端じゃ有りません!
さすが奇跡の泉です。
マリア様像が上の方に。
泉を見学して通る人達は皆洞窟の岩をなでながら歩いていました。
なので、手で触る位置の岩がツルツルです。
昔の地方の言葉で、「私は無原罪の御宿りです」と書いてあります。
ベルナデットに自分の名前を告げるときに言った言葉だそうです。
罪なくして神を身ごもった者、とでも言えば分かりやすいでしょうか。
あっ、もしかして?
泉だ~!
ガラスのカバーに覆われているっ!
でも泉が湧き出ている(?)のが見えるっ。
泉の手前に蛇口が並んでいるところがたくさんあって、こっちで水を頂けます。
私達はペットボトル2本分頂きました。
キャンドルも購入して、お供えしました。
健康なので自分の事はなにも祈りませんでしたが、お礼を言いたくて、ありがとう、と。
上には上がいるもので、大きな飾り立てられたキャンドルもたくさんありました。
聖地なのでおしゃべりは禁物です。
上の写真で右下にいるご婦人が「シーッ」という係りの人で、無言でいられないフランス人、イタリア人、スペイン人に向かってシーッと言って注意していました。
しかし、このご婦人の大きなシーッに聖地な場所が台無しです。(笑)
静かにしないと怒られますよ。
一緒に行った相方は、はじめルルドにあまり行きたくないような様子でした。
ルルドは相方が12歳の時に亡くなったお父さんが、若いときに不治の病で2ヶ月持つかどうかと言われご両親と奇跡を信じて来た場所だったのです。
相方のお父さんはそのとき19歳。
そのおかげでとも言うべき、お父さんは40代まで生きたんだそうです。
そして相方が存在するわけですから、ありがたい事です。
特別な思いがある場所、だったのですね。
私は会うことの出来なかった義理父ですが、このルルドの地で会えたような気がしました。
ルルドもいつか行ってみたいと思っていたところ。
マクロビの研修がピレネー地方で近かったので、せっかくなので行く事に。
ルルドに着いてワクワクしながら大聖堂へと向かいます。
と、その前にルルドの泉のお話で欠かせない人物、ベルナデット(ベルナデッタ)の父方の家がありました。
周りは高い建物になっているのに、この家だけ挟まれるように残されてなんだか苦しそう。
こちらがベルナデットの生まれた家。
1858年2月11日、ベルナデットが14歳のとき洞窟方面へ薪を拾いに行きましたとさ。
そのときベルナデットが洞窟の中に現れたマリア様を見てしまいます。
マリア様はベルナデットに水を飲んで顔を洗いなさいと言います。
ベルナデットは近くに水が無かったので、近くの川へ行こうとします。
そうすると、マリア様が洞窟の下の方へ行きなさい、と指差した場所から水が湧き出たという始まりです。
始めは濁っていた水もだんだん清水となり飲めるようになったとさ。
その後、マリア様が自分の存在を皆に知らせ、この泉が奇跡の力があるのだと知らせなさいと命じたそうです。
そしてこの地に礼拝堂を建てるよう神父さんに伝えなさいと・・・。
大変なお役目です。
そして、この泉の水を飲んで病気が治った人がでて来ました。
各地の司教もこの地を訪れるようになり、崇められる地となります。
1864年聖母マリア像が洞窟の中に建てられます。
その後、奇跡が信じられ1876年、聖母マリアに冠がかぶせられます。
聖母マリアの代弁者となったベルナデットはその後、ブルゴーニュでシスターとして献身的に人々に尽くします。
しかし残念な事に35歳という若さで亡くなります。
ブルゴーニュの修道会の上司から嫌われていたのだそうです。
1933年ローマ法王によりベルナデットは聖人(聖女)となりました。
聖人として認められるかどうかの調査をするために掘り起こされたベルナデットの死体は、腐敗せず生前のままの姿だったそうです。(怖っ)
ベルナデットの話がながくなりましたが、ルルドのノートルダム大聖堂の写真も見てください。
手前にはたくさんの十字架が展示してありました。
世界中から巡礼しに来た信者の人達の物のようです。
聖堂左横のきれいなモザイク
大聖堂内。
豪華できれいな作りの聖堂です。
上から見た川。
ベルナデットはここに水を飲みに行こうとしたのでしょう。
教会の方には、いくつものきれいなステンドグラスがあり、そのひとつひとつがマリア様出現のお話を表しています。
初めてマリア様がルルドの洞窟でベルナデットの前に現れ、ベルナデットに十字の切り方を教える場面です。
これは、病気だった人がルルドの水を飲んで治癒したというお話の場面。
壁には御心。
ハートを模ったオーナメントがたくさんありました。
大聖堂の右脇にルルドの泉があります。
そんなに人は多くないのですが、車椅子の方優先なので、結構待ちました。
だって車椅子で来ている方の数が半端じゃ有りません!
さすが奇跡の泉です。
マリア様像が上の方に。
泉を見学して通る人達は皆洞窟の岩をなでながら歩いていました。
なので、手で触る位置の岩がツルツルです。
昔の地方の言葉で、「私は無原罪の御宿りです」と書いてあります。
ベルナデットに自分の名前を告げるときに言った言葉だそうです。
罪なくして神を身ごもった者、とでも言えば分かりやすいでしょうか。
あっ、もしかして?
泉だ~!
ガラスのカバーに覆われているっ!
でも泉が湧き出ている(?)のが見えるっ。
泉の手前に蛇口が並んでいるところがたくさんあって、こっちで水を頂けます。
私達はペットボトル2本分頂きました。
キャンドルも購入して、お供えしました。
健康なので自分の事はなにも祈りませんでしたが、お礼を言いたくて、ありがとう、と。
上には上がいるもので、大きな飾り立てられたキャンドルもたくさんありました。
聖地なのでおしゃべりは禁物です。
上の写真で右下にいるご婦人が「シーッ」という係りの人で、無言でいられないフランス人、イタリア人、スペイン人に向かってシーッと言って注意していました。
しかし、このご婦人の大きなシーッに聖地な場所が台無しです。(笑)
静かにしないと怒られますよ。
一緒に行った相方は、はじめルルドにあまり行きたくないような様子でした。
ルルドは相方が12歳の時に亡くなったお父さんが、若いときに不治の病で2ヶ月持つかどうかと言われご両親と奇跡を信じて来た場所だったのです。
相方のお父さんはそのとき19歳。
そのおかげでとも言うべき、お父さんは40代まで生きたんだそうです。
そして相方が存在するわけですから、ありがたい事です。
特別な思いがある場所、だったのですね。
私は会うことの出来なかった義理父ですが、このルルドの地で会えたような気がしました。